プリツカー賞を受賞した世界の女性建築家一覧

建築家だけでなく、建築業界で仕事をしていると、何気なく気になるのが今年のプリツカー賞受賞者のことです。

特に、2019年の受賞者は日本人としては8人目となる磯崎新氏が受賞されたということもあり、2020年の受賞者には注目が集まったのではないでしょうか?

そこで、今回は建築業界のノーベル賞と言われるプリツカー賞についてご紹介します。

プリツカー賞とは?

画像引用: 「Casa BUTUS」トム・プリツカー氏

プリツカー賞は、1979年にアメリカ人実業家ジェイ・プリツカーによって設立されました。

ジェイ・プリツカーは1957年に「ハイアット・ハウス・モーテル」を手に入れてから、兄ドナルドと共にハイアットブランドを育て上げた実業家です。

「ハイアットリージェンシー」というホテルを聞いたことがあるのではないでしょうか?

実はこのホテルも、プリツカー家の持つハイアットブランドの1つなのです。

では、そんな建築とは無縁とも思える実業家が、プリツカー賞を立ち上げた理由は何なのでしょうか?

プリツカー賞の歴史の中に次のような一文があります。
「1967年に、ハイアットリージェンシーアトランタになる予定だった未完成の建物を取得しました。

~中略~

シカゴの建築は建築の芸術を私たちに認識させましたが、ホテルの設計と構築に関する私たちの作業は、建築が人間の行動に与える影響を認識させてくれました。」

引用:プリツカー賞(公式)

ジェイ・プリツカーと妻のシンディ・プリツカーは、生きている建築家を称えることの必要性にかられたと言います。そして、ハイアット基金を通じてプリツカー賞を設立し、生きて活躍している建築家を毎年選出しているのです。

実は、設立来41年の間に日本人受賞者も8名と結構な人数が受賞しているのです。

1987年 丹下健三氏
1993年 牧文彦氏
1995年 安藤忠雄氏
2010年 妹島和世氏と西沢立衛氏
2013年 伊東豊雄氏
2014年 坂茂氏
2019年 磯崎新氏

なぜ、女性建築家の受賞者が少ないのか?

さて、プリツカー賞設立から41年の間に女性建築家が受賞したのは、わずか5名です。

なぜ、女性受賞者が少ないのでしょうか?

理由の1つとして、世界全体で女性の社会進出がまだまだ進んでいないということが考えられます。

欧米では、女性の首相などが活躍をしていますが、世界全体を見れば女性が活躍し辛い業界があり、その1つが建築業なのです。

また、宗教的な問題で女性が社会進出できないということもあり、まだまだ世界的に活躍できる女性建築家が少ないということが考えられます。

歴代の女性受賞者をご紹介

画像引用:「Casa BUTUS 2017年度授賞式@迎賓館赤坂離宮」

ここからは、数少ない女性受賞者をご紹介していきます。

女性初の受賞者は、ザハ・ハディド

画像引用: https://magisjapan.com/designers/detail/44

プリツカー賞を女性として初めて受賞したのは、イラク出身のザハ・ハディド氏です。

彼女は1950年イラクのバグダッドで生まれ、ベイルートにあるアメリカン大学に進学します。

卒業後、イギリスにわたり、英国建築業界付属建築専門学校に進学し、そこで建築を学びました。

彼女の受賞歴を見ると、プリツカー賞をはじめ、大英帝国勲章、高松宮殿下記念世界文化賞、2度のスターリング賞など、実に輝かしい経歴なのです。

ですが、新国立競技場に見られるように、斬新すぎるデザインと高額過ぎる建築コストのために、建築実現していない作品も多く、「アンビルド女王」のあまりありがたくない称号まで持っているのです。

とはいえ、建築技術の発展によって建築実現している建物もいくつか残っています。北京大興国際空港や梅溪湖国際文化芸術センターは、近年の作品として有名です。

日本の女性建築家、妹島和世は建築ユニットSANAAとして受賞

画像引用:ELLE ONLINE

女性として2人目の受賞者は1956年茨城県生まれの日本人建築家の妹島和世氏です。

妹島和世建築設計事務所の代表を務めながら、SANAAとしても活動しており、2010年そのSANAAでプリツカー賞を受賞しました。

SANAAは、国内外で革新的な建築デザインをするための建築スタジオで、神川県出身で10歳年下の西島立衛氏とともに設立しています。

60代となった今でも精力的に活動を続け、2018年のブルガリ アブローラ アワードを受賞した際のインタビューでは、建築科について以下の様に語っています。

「建築家は人と人との関係を「空間」を通して考え、作り上げていくもの。さまざまな人が、どんな空間なら共に良い時間をもつことができるのかと、いつも考えています。近頃では、空間を超えた活動にも関心をもつようになってきました。」

引用:ELLE ONLINE

SANAAとしての代表作は、金沢市にある21世紀美術館やオハイオ州のガラス美術館などがありますが、妹島和世建築設計事務所としても、日本女子大学図書館や犬島「家プロジェクト」、西武鉄道新型特急車両001系「Laview」など、話題性の高いプロジェクトも扱っています。

3人目カルメ・ピジェムも、RCRアーキテクツとして受賞

画像引用:「Casa BUTUS」

プリツカー賞を受賞した3人目の女性建築家はスペインのカルメ・ピジェム氏です。

彼女も、妹島和世氏同様男性建築家と共に受賞をしており、単独受賞ではありません。

ラファエル・アランダ氏、ラモン・ビラルタ氏とともに、1988年RCRアーキテクツを設立しています。

その前年、1987年に3人は建築大学を卒業しているのですが、当時バルセロナではオリンピック特需に沸いており、多くの同級生はバルセロナでの就職を選択しています。

しかし、3人はバルセロナでの就職ではなく、バルセロナから北へ110kmも離れた田舎町で、建築家としてのスタートを切るのです。

彼らの建築手法は、建設予定地の風景、文化を理解し、その土地の人々の生活になじむ建築物を、3人の徹底した対話によって作り上げていくというものであり、スペインの片田舎である「故郷」へ帰るという選択は、2017年に花開くこととなったのです。

彼らの代表作には、サン・アントニージョアン・オリバー図書館複合施設や、ペティ・コムテ幼稚園、スーラージュ美術館などがあります。

2020年の受賞者ははアイルランド出身の女性建築家ユニットイボンヌ・ファレルとシェリー・マクナマラ

画像引用:「Casa BUTUS」

2020年、世界的なパンデミックが起こっている中受賞者が発表されました。

アイルランド出身の女性建築家イボンヌ・ファレルとシェリー・マクナマラの2人が同時受賞しました。

2人はダブリン大学で知り合い、1976年に大学を卒業すると1978年にアイルランドのダブリンでグラフトン・アーキテクツを設立します。

また、大学卒業後には出身大学であるダブリン大学で教える機会を得て、2006年まで学生たちへの教育にたずさわることとなり、2015年には非常勤教授に任命されました。

教育者として建築を教える一方で、建築家としても精力的な活動を続けます。

彼女たちの代表作は、出身校でもあるユニバーシティ・カレッジ・ダブリン(ダブリン大学)のアイルランド都市研究所をはじめ、アイルランド財務部の事務所やりムリック大学医学部などで、主にアイルランドにその作品を見ることが出来ます。

まとめ

1979年に始まった生きている建築家を称えるためのプリツカー賞は、2020年で48人もの受賞者を生み出しています。

しかしながら、48人中女性建築家で受賞したのはわずか5人であり、単独受賞者はザハ・ハディド氏のみなのです。

ですが、国内外にはまだまだ多くの女性建築家が活躍をしています。

いつの日か、彼女たちが第2のザハ・ハディド氏の様に、単独受賞できる日が来ることでしょう。